ごんさんぽ

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曽我物語巡り旅 2日目

 

 

目次 

 

 1日目はこちら

ichijiku0801.hatenadiary.jp

 

 

  •  曽我兄弟 、虎御前の供養塔

 

2日目の朝です。

小田原駅から箱根登山鉄道に乗り、箱根湯本駅で乗り換え、小涌谷駅に降り立ちます。

本当は小涌谷駅からでも箱根湯本駅からでも、小田原駅からでもバスに乗って直行で箱根神社行ってもよかったのですが!

歩くのが好きなので歩きます。

 

小涌谷から20分ほど歩いたところに、滝があり、そこから山道に入って、草履で登山をしました。その山道こそ、「湯坂路」という頼朝が箱根神社に参詣するときに使った道なのですが、そのへんは曽我物語とは関係ないのでまた別の機会に。(実は曽我物語、1/3くらいは頼朝の話だったりするので関係なくは無い)

 

湯坂路を抜け出して、1号線(東海道)に出ます。

またしばらく歩き続け、ずんずん歩き、1号線の中で一番標高が高いという看板が見えて、おお〜と思っていたところで、遂にお目見えしました。

突然現れたので、思わず声が出てしまいました。

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曽我兄弟と虎御前の供養塔です。

向かって左二つが兄弟、右が虎御前です。かなりでかいです。

 

…どうやら説明書きを写真に撮り忘れました!

ので、記憶と曽我るるぶ*1に頼って説明いたしますと、

このあたり一帯、この供養塔以外にも沢山石仏があります。

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Googleマップのスクショです。スクショの表示以外にもたくさんあります!

鎌倉時代後期以降に作られた石仏が集まっており、名称としては「元箱根石仏・石塔群」になります。スクショの左側に見える池、精進池と言うのですが、そこが箱根越えの難所の一つで地獄池と呼ばれており、その地獄から人を救うために沢山石塔が建てられたとか。

 

写真の「曽我兄弟の墓」も「多田満仲の墓」も、初めは曽我兄弟のために、多田満仲のために造られたものではなかったそうで、それがいつしかそのように言われるようになり、江戸時代では完全に定着していたようです。

忠臣蔵で有名な大石内蔵助は、この供養塔の苔をお守りの中に入れて敵討に挑んだそうな…。

 

今は敵討と言えば忠臣蔵って感じですが、江戸時代以前は曽我物語が大人気で、二つ並んだ供養塔とその側に寄り添うようにある供養塔は当時の人には兄弟と虎に見えてしまうものだったのかなあと思いを馳せておりました。推しに見えちゃう病。わかる。

 

 

そして、今回の旅の一番の目的であった、箱根神社に参ります。

また一号線を下っていきますが、このまま普通に下り続けるの面白くないな!と思って見つけた山道に入って後悔などしていました。

 

 

  • 矢立の杉 箱根神社 曽我神社 兄弟杉 宝物殿

 

迷子になりながら、無事に(?)箱根神社に到着します。

流石、人が沢山です!私は恐らく此処にいるだれよりも苦労して箱根神社に辿り着いたんだぞという謎の達成感と優越感に浸り、疲れながら境内へ。

 

まず、見えてくるのが大きな杉。

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矢立の杉といいます。

坂上田村麻呂蝦夷を討伐しようとする際に祈願として矢を刺していった杉らしく、それに倣って色んな有名な武将が何かを遂げる前に矢を刺していった逸話があります。

例に漏れず兄弟も、覚悟を決めて箱根の別当に挨拶に行った際だったでしょうか、矢をぶっ刺していったような描写があった気がします。

 

 

杉の向かいにある御手水で手を洗い、御朱印帳を社務所に預け、鳥居をくぐって階段を登っていきます。

 

その階段を登りきる手前!左手にあるのが!8割方はスルーしていきますが我々はこちらが目的なようなもんです。

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曽我神社。曽我兄弟を祀っています。

昨日の曽我八幡宮では、主神は応神天皇で、兄弟は相殿として祀られていましたが、

こちらの神社では兄弟が主神です。ソガジュウロウスケナリノミコトと、ソガゴロウトキムネノミコトですね。

 

由緒によりますと、元々この神社の稚児であった五郎の霊を慰めるために祀っていたのが、江戸時代になって小田原城主が曽我神社を建立した、とあります。

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また、曽我兄弟の活躍に倣って、この地で居合道の大会が行われているようです。

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そしてこの曽我神社を出て左に曲がり、箱根神社本殿に向かおうと思いきや!

右手にこちらが。

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兄弟杉

今は根元しか残っていませんが、五郎が箱根神社の稚児の頃にこの杉を相手に剣術を磨いていたという逸話が残っています。

そういうの残ってるってことは、剣の鍛錬してたことが仲間や師匠にバレバレだったんだな…(-ω-) とか、10年も相手が木とかで誰かに教えてもらうわけでもなく、実戦経験がない中でそんな上手くなるもんなのかしら……執念だな……などと杉相手に妄想を巡らせながら、

やっと階段を登ります。

 

 

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やっと辿り着きました、箱根神社

五郎が箱根権現に寺入りする以前に、兄弟の実の父(祐経に殺された方)河津三郎が篤く箱根権現を信仰していたとのことで、五郎くんの幼名の筥王(箱王)の箱も箱根権現から取ったとかという、とても縁の深い神社となっております。

箱根権現を信仰していた父の菩提を弔うために箱の名前を冠して箱根権現入るの、すごい弔えそう(?)と思いますね。当の本人は人殺しを念じながら剣の鍛錬をしているわけですけれども。

 

旅の安全と新たな旅のご縁のお導きをお祈りして手を合わせ、宝物殿へ向かいます。

 

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宝物殿の写真撮り忘れたので、神社の麓にあったご飯屋さんで食べたおもちを載せておきます。美味しかったです。

 

 

箱根権現絵巻など重要文化財な宝物がたくさんありますが、

曽我兄弟に関係あるもので今回拝観できたのは赤木柄短刀です。

これは、箱王が箱根権現の稚児のときに仇の工藤祐経が箱根権現に訪ねてきて会ってしまい、そのときに箱王が祐経から貰ったのがこの短刀です。箱王にとってかなりそれが屈辱的だったようで、この出会いから絶対敵討するマンとして成長していくのですが、敵討を遂げた際にトドメを刺したのはこの短刀だったという逸話が。かつての主を殺した刀ってのも凄いですね(審神者目線の感想)

逸話が本当かはどうかとして、この短刀の本物は実際に残っているそうで、しかしもうかなり原形をとどめてない感じになっちゃってるらしいので、展示されてるのは模造刀です。それにしても年季が入っていました。

 

これは御朱印いただいたときに挟んで貰った箱根神社パンフです。

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膝丸くんだー!!(推し)

 

そういえば今年の初めに東京でこの薄緑の展示ありましたよね。観に行けば良かった……ッ、まさかいや、半年後に自分がこんな状態になるとは思わないじゃないですか…

museum.kokugakuin.ac.jp

 

また展示があったら絶対に拝観しに行きたいと思います。

 

 

話が逸れてしまいましたが、その他にも歌川広重の描いた曽我物語の浮世絵、特にこの箱根権現に所縁のあるシーン、箱王と祐経が出会っちゃった場面の絵が展示されておりました。

 

 

これにて2日目は終了です。

帰りは山道には戻らず、バスに乗って小田原へ…。

 

 

続く

*1:曽我物語 (物語の舞台を歩く)』坂井 孝一 山川出版社