ごんさんぽ

なんかまとめたいときに使いたいです

曽我物語巡り旅 3日目①

目次

 

 

1日目

2日目

↑リンク繋がっています

 

 

3日目です。

郷土資料館は本当は2日目に行きたかったのですが、寄り道しまくって迷子になりまくったせいで時間がなくなったので、3日目の午前中に参ります。

最寄駅は箱根湯本駅です。

 

 

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駅から歩いて10分程で到着します。

 

常設展は、箱根が如何にして温泉地になったのかという解説でした。時代的には江戸〜近代です。本気で病気なおそうとしたら1ヶ月くらい温泉入り続けなきゃいけないんだな………私も毎日おんせんはいりたいな

 

お目当ては企画展です。箱根が舞台になった古い物語の展示で、坂田金時(金太郎)、曽我物語(主に五郎)、箱根霊験躄ノ仇討(飯沼勝五郎)の3つが取り上げられていました。曽我物語の浮世絵、やたら歌川の絵師さんが書いているのはなぜだろうか…。曽我るるぶ*1のはじめの、カラーのページに載っているものを生で見ることができました。

 

箱根霊験躄ノ仇討、ここで初めて知ったのですが、この物語も中々凝っているというか 日本の昔の物語…面白いの多いな……!と感じました。

勝五郎の奥さんが中々大変というか頑張ってたというか可哀想だったというか でも無事に敵討できたようでよかったです(ネタバレ)

 

 

 

 

 

郷土資料館から歩いて早雲寺というお寺に行けるということで、行こうとしたところ盛大に迷い、謎の林に迷い込んで引き返したりしてやっとこさ辿り着きました。

曽我物語とは恐らく関係無いので飛ばしますが、今この寺のHP検索してみたらなんかすごくカッコよかったのでリンク貼っておきます。

www.souunji.jp

 

お寺とか神社のHPって、昔ながらのキリ番ありそうなつくりのものとか、パソコン用とスマホ用でちゃんとサイト作り分けられててスーーッと画面切り替えされるようなカッコいい最新のつくりのもの(語彙力が無…)とか、色々あって面白いですよね。

不思議なのが、寺社のHP、古いつくりのものも新しいつくりのものも、ワンクッション置いてること多い気がするんですよね。[入る]押さないとメイン見れない感じの。早雲寺のサイトもそうですけど。何でだろう。

 

 

だいぶ話が逸れましたが、そこからどうやって駅に戻ろうかな〜〜とGoogleマップを検索していたところ、正眼寺という寺が目に入って口コミを見たところ、「曽我兄弟の供養塔があります」という文字が………行かなきゃじゃん!!

確かここ、曽我るるぶ*2に載ってなかったんですよね。…見逃してただけかもですが。でも私の予定ルートには入ってなかったので、危ねえ〜〜!見つけてよかったー!!と安堵しながら向かいます。

 

 

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正眼寺

 

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箱根山の地蔵信仰の中で生まれた寺とあります。そういえば、昨日の元箱根の石仏群も同じ由来ですね。しんどい箱根を越える人間を救うために、中世この地では地蔵信仰が栄えたとのことです。

 

このお寺の本堂の裏、山になっており、見渡す限りのお墓!お盆より少し早い時期でしたが、家族でお墓詣りに来ているのを見かけました。そういえば泊まった宿の地元の方に、この辺の人たちはこの時期にお盆に行く習慣になっていると聞いたような……。

 

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まずは曽我兄弟の供養塔

※逆光で供養塔の文字が見えづらかったので写真を加工しまくったら、もちもちマスコットが不自然に合成みたいに写り込んでしまいました。

先ほどの案内板によると、「江戸前期、冬木屋上田家が建立した供養塔。」とのことで。

冬木屋上田家とはなんじゃらほいということで、検索したら

tesshow.jp

がヒットしました。こちらの方ですかね。ここにお墓もあるようです。

 

 

 

次に墓を縫って上へ上へと上り、

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曽我堂

 

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曽我堂縁起によると、これは曽我兄弟の親類縁者によって建てられたものだということです。親類縁者……どの辺りの親類縁者なのだろうか………。

 

そして、なんと兄弟が地蔵菩薩となって存在しているようです!神にも仏にもなっていますよ曽我兄弟…(神については2日目の曽我神社を参考)

神様仏様曽我兄弟様ですね。仏様は一般公開も行われているようです。

そういえば、1日目の曽我八幡宮のほうでは、兄弟の神像があるようですね。こんがらがってきました……曽我兄弟一体何者なんだ………(?)

 

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また、側には歌舞伎関係者さんのお名前が書かれている奉納品が。

 

 

墓を下ったところに、

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曽我五郎の槍突石。です。

※逆光で石碑の文字が見え辛く(以下略)

 

案内板によると、「曽我五郎が病回復の証に、槍で突いたと言い伝えの残る石で、江戸時代までは箱根旧街道筋の槍突沢にありました。」

病…… 五郎くんいつ病気に……!おぼえがないぞ…… しかし病み上がりで、どれくらい力が戻ったかなとまず石を突いてみるあたり、五郎の怪力具合がすごい逸話。

槍突沢をGoogleマップで検索してみると、ヒットせず。消えてしまった地名なのですかね…。

 

この石碑が色々とよくわからないので検索をしてみたら別の色々な情報を見つけました。

いずれもソースが載っていなかったのであんまり大きな声でいえませんが、曽我堂は虎が建立しただとか、このお寺を出てすぐのところに兄弟の生家があっただとかいう情報を手に入れました。生家…マジか……(推しの生家に弱いオタク) いやでも生家ならもっと町も推すはずな気がする。でも町で全然その文字見かけなかったものな…… 真実やいかに。

あと、先ほどの冬木屋上田家の件ですが、このお寺が戊辰戦争で燃えて無くなってしまった(曽我堂も燃えたらしいですが兄弟の菩薩は無事だったようです)ときに冬木屋上田家の援助により再建されたということもわかりました。

 

 

ウーン 箱根町史とか漁らないといけないかな〜〜!!掘り下げ甲斐がありそうです。

 

 

 

 

この後、箱根湯本駅に戻って電車に乗り、小田原で乗り換えて下曽我という駅に向かいます。

河津の父が亡くなり曽我の父に引き取られた兄弟はこの下曽我の地に移り住み、どう敵討をしようかとコソコソ話をして雁の家族を眺める幼少時代を過ごしますが、今回の記事が文字数多くなってしまったので、ここで一旦キリをつけます。

 

 

続く

 

*1:曽我物語 (物語の舞台を歩く)』坂井 孝一 山川出版社

*2:曽我物語 (物語の舞台を歩く)』坂井 孝一 山川出版社